小説「SaaSの死」 選別 改革の視点

変革とは、何かを足すことより、何を残すかを決めることです

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企業変革という言葉から、多くの人は「新しいことを始める」場面を想像します。
新しい戦略、新しいシステム、新しい組織、新しい制度。もちろんそれらは変革の一部です。ですが実際には、変革の本質は何かを増やすことよりも、何を残し、何をやめるかを決めることにあります。

この局面で多くの企業が苦しむのは、問題が見えていないからではありません。
むしろ、ある程度見えていることが多いです。
この顧客は利益率が低い。
この業務は手間がかかりすぎる。
この承認は形式化している。
この例外対応は長年惰性で続いている。
この会議は意思決定を生んでいない。
こうしたことは、現場も管理部門も営業も、薄々分かっています。
それでも変えられないのは、それぞれに「残したい理由」があるからです。

顧客との関係を壊したくない。
過去の努力を否定したくない。
現場の負担を増やしたくない。
部門の存在意義を失いたくない。
売上を落としたくない。
自分の仕事が不要になる現実を直視したくない。
企業の中には、こうしたごく人間的な感情が積み重なっています。
だから、変革はいつも論理だけでは進みません。

ここで特に厄介なのが、売上を作ってきた現場の正義です。
営業には営業の論理があります。顧客との関係を維持し、取引量を守り、案件を積み上げる。その積み重ねで会社を支えてきたという自負があります。実際、その自負はしばしば正当です。売上がなければ会社は生き残れません。
ですが一方で、売上と利益は同じものではありません。
売上は規模を示しますが、利益は体質を示します。
売上を守るために利益を失い続けると、会社は一見健全に見えながら、内部から痩せていきます。

ここで変革の最初の壁が現れます。
それは、売上文化から利益文化へ移る痛みです。

売上文化の中では、「取ること」が正義になりやすいです。
利益文化の中では、「選ぶこと」が正義になります。
この違いは大きいです。
なぜなら、「取る」は前向きな言葉ですが、「選ぶ」は必ず「取らない」を含むからです。
つまり、利益文化は、関係を維持するだけではなく、条件を変える、負荷を減らす、場合によっては断る、という判断を要求します。
この判断は、どれも正しいように見える一方で、現場には非常に痛いです。

ここで重要になるのが、「切る」という言葉をどう扱うかです。
企業変革の場面では、しばしば「不採算案件を切る」「低収益事業を切る」といった表現が使われます。ですが実務の現場では、多くの場合、いきなり切るわけではありません。
本当に重要なのは、残す条件を定義することです。

値上げに応じてもらえるなら残す。
例外対応が減らせるなら残す。
業務条件を標準化できるなら残す。
運用負荷が下がるなら残す。
つまり、「重要だから残す」ではなく、「この条件を満たせるなら残す」と言語化することが必要です。
この違いは決定的です。
前者は感情と歴史に支配されます。
後者は、交渉と設計の対象になります。

これは顧客だけの話ではありません。
社内業務も同じです。
長年続いている承認フロー、個別帳票、例外請求、二重入力、会議体、手作業による集計。こうしたものも、「昔から必要だった」「現場事情がある」「完全にはなくせない」と言われがちです。
ですが、本来問うべきなのは、今の会社にとってそれを残す条件が何か、です。
本当に差別化に効くのか。
法令や契約上必須なのか。
顧客価値に直結するのか。
それとも、単に誰かが慣れているだけなのか。
変革とは、この問いを避けないことです。

ここまで来ると、採算改革と業務改革とシステム改革は、実は一つの線でつながっていることが分かります。
顧客を選ぶことと、業務を選ぶことは似ています。
残す価値のあるものを見極め、それ以外を標準に寄せるか、やめるか、別の形に変える。
その意味で、採算改革は営業の話にとどまりません。
それは会社全体の時間の使い方を再定義することでもあります。

そして、ここでようやくデータの意味が変わります。
多くの会社では、データは報告のために使われています。月次会議のため、役員説明のため、進捗確認のためです。
ですが、本来データは、報告のためにあるのではありません。
選ぶためにあるのです。

どの顧客を残すのか。
どの業務を標準に寄せるのか。
どの例外を許すのか。
どの部門の負荷が高すぎるのか。
どこに利益の源泉があり、どこに人手の接着剤が貼りついているのか。
こうしたことを、会議のたびに人が集計し、人が説明し、人が補足している限り、選別は遅くなります。
だから後半では、SaaSやAPIや生成AIの話が重要になってきます。
それらの本質は、新しいツールを増やすことではありません。
会社が「見る」「選ぶ」「動かす」までの時間を短くすることです。

ここで、変革を語る上で大事なことがあります。
選別は冷酷である、と思われがちです。
たしかに、選別は優しい行為ではありません。
何を残すかを決めることは、何かを残さないと決めることでもあります。
ですが、選別を先送りすることが優しいかと言えば、そうとも限りません。
不採算案件を真面目に守り続けること。
例外業務を真面目に引き受け続けること。
古い役割を真面目に温存し続けること。
それらは一見、人に優しいように見えます。
ですが、長い目で見ると、会社全体を弱らせ、最後にはもっと大きな痛みを呼ぶことがあります。

この意味で、変革の難しさは、正しいことを言うことではありません。
何を残すかを決め、その決定に伴う痛みを引き受けることです。
そこには経営の責任があります。
現場の覚悟も要ります。
営業の再定義も必要です。
人事の支えも欠かせません。
そして、後の章で描かれるように、その選別を支えるためには、データ、業務設計、SaaS標準化、API連携、生成AI活用まで含めた新しい仕組みが必要になります。

会社が変わるとき、多くの人は新しい何かが加わることを想像します。
ですが実際には、変革の最初の一歩は「増やす」ことではありません。
何を残すかを決めることです。
もっと言えば、これまで曖昧なまま温存してきたものに、初めて条件をつけることです。

条件のない重要顧客は、やがて会社の弱みになります。
条件のない例外業務は、やがて組織の疲労になります。
条件のない雇用維持は、やがて全員の不安になります。
逆に、残す条件を定義できたものは、はじめて戦略になります。

変革とは、未来の話であると同時に、現在の棚卸しでもあります。
その棚卸しの中で、「残したいもの」と「残す価値のあるもの」は違うのだと気づいたとき、会社はようやく前に進み始めます。

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