小説「SaaSの死」 半分で足りる 改革の視点

本当に減るのは、人ではなく“つなぎ仕事”です

生成AIやSaaSの話になると、多くの人が最初に反応するのは「何人減るのか」という問いです。
その反応は自然です。実際、企業の中で効率化が本格的に進むと、ホワイトカラーの仕事量が大きく圧縮されることがあります。
ただし、このとき注意しなければならないのは、最初に減るのは人ではなく、仕事の中に隠れていた“つなぎ”の部分だということです。

ここでいう“つなぎ仕事”とは、価値がない仕事という意味ではありません。
むしろ多くの場合、それは会社を回すために必要だった仕事です。
システムとシステムの間をつなぐ。
部門と部門の間で確認する。
数字を拾い集めて会議資料を作る。
問い合わせの一次対応をする。
SaaSからCSVを落として別の台帳に貼り付ける。
例外処理を読み替えて、現場の事情に合わせる。
それらは、長い間、多くの会社で真面目に行われてきました。
だからこそ、それを担ってきた人たちが悪いわけではありません。
問題は、その“必要だったつなぎ”が、いつの間にか仕事そのものの顔をしてしまうことです。

企業の中には、驚くほど多くの“つなぎ”があります。
本来ならシステム同士がつながるべきところを、人がつないでいます。
本来ならデータが自動で流れるべきところを、人が確認しています。
本来なら標準処理に寄せられるべきところを、例外のまま人が吸収しています。
本来ならナレッジとして共有されるべきところを、ベテランの頭の中から都度引き出しています。
こうした構造の中では、人が減ると困るのは当然です。
なぜなら、人が減ることは“つなぎ”が消えることを意味するからです。
そして多くの会社では、その“つなぎ”なしに仕事が流れないまま長く来てしまっています。

ここでSaaS、API、生成AIが加わると、状況が変わります。
SaaSだけでも業務は一定程度効率化できますが、部門ごとにバラバラに導入したSaaSは、しばしば別の断絶を生みます。営業は営業のSaaS、経理は経理のSaaS、現場は現場のSaaS。すると今度は、それらをまた人がつなぐ必要が出てきます。
だから、SaaSを入れれば自動的に効率化されるわけではありません。
ここで重要になるのが、SaaSを部品として扱い、API連携でデータと処理を横断的につなぎ直すことです。

さらに生成AIが入ると、これまで人が担ってきた“中間作業”が一気に薄くなります。
社内ルールを探して答える。
問い合わせの一次対応をする。
会議用の説明文を整える。
数字の変動要因を要約する。
定型文書のドラフトを作る。
請求や契約の説明を分かりやすくする。
そうした仕事は、長くホワイトカラー業務の一部として扱われてきました。
ですが生成AIは、それらのかなりの部分を支援できます。
ここで本質的なのは、AIが“すごい”という話ではありません。
本質は、今まで人が断絶を埋めるために費やしていた時間が、技術によって別の役割へ移せるようになることです。

だから、「ホワイトカラーが半分で足りる」という表現は、半分正しく、半分危険です。
正しいのは、従来と同じ仕事の総量が、そのまま必要でなくなるという意味です。
危険なのは、その言葉がすぐに「人が半分いらなくなる」と読まれてしまうことです。
実際には、そのあいだに大きな問いがあります。
減るのは工数なのか。
役割なのか。
部署なのか。
席数なのか。
雇用そのものなのか。
この問いを曖昧にしたまま効率化だけを語ると、組織は必ず不信と恐怖に傾きます。

ここで企業が向き合わなければならないのは、単なる削減ではなく、役割の再設計です。
たとえば、請求の二重確認をしていた人は、今後どこで価値を出すのか。
問い合わせをさばいていた人は、例外対応や顧客改善提案に回れるのか。
報告資料を作るために数字を集めていた人は、今後は数字を読む側に回れるのか。
営業事務として受け渡しを担っていた人は、現場支援や提案支援へ移れるのか。
ここが設計されていない効率化は、ただの不安になります。
逆にここまで考えられた効率化は、会社の筋肉質化につながります。

このとき、もう一つ重要な視点があります。
それは、ホワイトカラーの仕事量が減ることが、必ずしも会社の魅力を減らすわけではないということです。
むしろ逆に、つなぎ仕事や報告仕事が減ることで、これまで埋もれていた本来価値の高い仕事に人を振り向けられる可能性があります。
顧客交渉、例外判断、現場改善、ナレッジ整備、分析、企画、教育。
これらは本来、人がやる価値の高い仕事です。
ですが多くの会社では、その前に大量の受け渡しや確認や集計が積み上がり、人がそこまで辿り着けません。
だから、APIやAIで“間”を薄くすることは、単なるコスト削減ではなく、人を価値の高い領域へ押し戻す試みでもあります。

ただし、ここで理想だけを語るのは危険です。
実際には、すべての人が新しい役割へきれいに移れるわけではありません。
再教育で吸収できる人もいます。
再配置で生きる人もいます。
自然減で調整できる場合もあります。
それでもなお、うまく移れない人や、役割そのものが薄くなる人が出ることは避けられません。
この現実に向き合わずに「AIで便利になります」とだけ言うと、変革は浅くなります。
逆に、「どうせ人が余るだけだ」と言って技術そのものを拒否すると、今度は会社全体が先に弱ります。
この二つの極端のあいだで、どこまで役割を再設計し、どこまで痛みを吸収するか。そこに経営の責任があります。

ここで、後の章で出てくるSaaS、API、生成AIの構造が重要になります。
SaaSが業務機能を持つ。
APIが部門と部門をつなぐ。
BIや分析基盤が経営と現場を同じ数字で見る。
生成AIが検索、要約、文書作成、問い合わせ、分析支援を横断で担う。
この構造が出来上がると、人は“情報を探して運ぶ人”から、“情報を読んで判断する人”へ役割を変えざるを得なくなります。
つまり、効率化の本質は、手間が減ることよりも、人間の役割定義が変わることにあります。

その意味で、「半分で足りる」という言葉は、人数の話である前に、仕事の設計の話です。
どれだけの席数が必要か。
どれだけのID数が必要か。
どれだけの人がシステム間を行き来しなくていいか。
こうした設計が変わった結果として、組織の輪郭が変わります。
そしてその変化は、既存のプレイヤーにも影響を与えます。
ユーザー課金を前提にしたSaaS、保守や個別開発で稼いできたSIer、会議と資料と構想の間に価値を置いてきたコンサル。
彼らがなぜ後の章で苦しくなるのかは、ここに理由があります。
人がつなぐ前提が崩れると、そこで成立していた商売もまた崩れるのです。

ホワイトカラーを半分にする、という言い方は刺激的です。
ですがその刺激の中身をよく見ると、起きていることは単純な削減ではありません。
会社の中に散らばっていた“つなぎ仕事”を、標準化と連携とAIで溶かし、人の仕事を再定義しているのです。
本当に問われるのは、人が多いか少ないかではありません。
人が何をするために会社にいるのかです。

効率化の時代に怖いのは、仕事が減ることではありません。
減る仕事が何だったのかを、会社が正直に言えないことです。
もしそこを言語化できれば、変革は恐怖だけではなくなります。
それは、人を切る話ではなく、人が本来やるべきことを取り戻す話にもなり得ます。
ただし、そのためには、仕事の総量ではなく、仕事の中身を見なければなりません。
そこから先が、本当の変革の始まりです。