小説「SaaSの死」第6章 半分で足りる

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 最初に異変を感じたのは、数字そのものではなかった。
 画面の前に座っている時間の長さだった。

 金曜の午後、羽田物流ホールディングス本社六階の大会議室には、管理本部の各部門から集められた担当者たちが、ノートPCと紙の業務一覧を前に並んでいた。経理、請求、総務、人事、営業事務、配車補助、債権管理、支払管理。部署名は違っても、どの机の上にも似たようなものがある。Excel台帳、印刷した確認票、SaaSの操作手順書、独自運用のメモ、そして付箋だらけのマニュアル。
 人が仕事をしているというより、人がシステムの間を埋めているように見えた。

 杉崎遼は会議室の後方からそれを見ていた。
 佐藤龍一が前に立ち、ホワイトボードに大きく二本の線を引いている。左に「価値」、右に「接着剤」。
 それだけで、部屋のあちこちから苦笑が漏れた。
 言葉が雑だからではない。
 あまりに核心を突いていたからだ。

「今日は、誰がどれだけ忙しいかを数えたいわけじゃないです」
 佐藤が言った。
「忙しさの中に、価値を生んでる仕事がどれだけあって、ただ部門と部門、SaaSとSaaS、現場と本社をくっつけてるだけの仕事がどれだけあるかを見たい」

 経理課長の雨宮恒一が、事前にまとめた一覧表を配っていく。
 一覧には、部門ごとに主要業務が並び、その横に

  • 発生頻度
  • 使用システム
  • 例外有無
  • 他部門との受け渡し有無
  • 手作業補完有無
  • 顧客・現場との直接価値接点有無

が記されていた。
 さらに、その右端には一つだけ新しい列がある。

 AI/連携で代替可能性

 その文字を見た瞬間、空気がほんの少し変わった。
 人は、自分の仕事がどう見られているかに敏感だ。
 しかもそれが、効率化や改善ではなく、“代替可能性”として並んでいるとき、なおさらである。

 長峰恒一はその空気の変化を見逃さなかった。
 管理本部長は会議卓の中央に座り、資料を丁寧にめくりながら、いかにも中立的な顔をしていた。何か言いたそうではあるが、まだ口は開かない。その沈黙が、かえって部屋の緊張を強めていた。

 最初に話し始めたのは、請求管理課の課長だった。
「うちの月末業務は、締め後の例外処理が多いんです」
 モニターに映し出されたフロー図には、請求データ取り込み、得意先確認、個別請求書発行、照合、営業確認、再発行、問い合わせ、締め修正、といった工程が何本も枝分かれしていた。
「請求管理システムに入る前に、営業管理の方からExcelで一覧が来ます。そのあと、案件番号と枝番を確認して、個別条件がある得意先は別帳票にして、締め後に問い合わせが来たら、また照合して――」

 雨宮が横から補足する。
「一回の請求締めで、営業管理、請求管理、債権管理、経理の四部門を跨いでいます」
 佐藤が聞く。
「そのうち、顧客価値に直結してる工程はどこですか」
 課長は一瞬黙り、それから慎重に答えた。
「正確に請求書を出すこと自体は価値だと思います」
「そうだな」
 佐藤は頷いた。
「じゃあ逆に聞くけど、そのために案件番号を三回見比べる必要はあるか?」
 課長は言葉に詰まった。
「……今のままだと必要です」
「“今のままだと”だろ?」
 佐藤の口調は厳しくなかった。だが、逃げ道を残さない問い方だった。

 次に総務、人事、営業事務と続いていく。
 資料をめくるたびに、よく似た構図が現れた。
 人が確認している。
 人が転記している。
 人が問い合わせの一次対応をしている。
 人が別の部門に確認を依頼している。
 人がSaaSからCSVを落としてExcelで整えている。
 人が報告資料を作るために別の人に聞いている。
 そして、その多くが「昔からそうしている」「他部門のシステムが見えない」「例外が多いから」で説明されていた。

 杉崎は、途中からメモを取る手が止まっていた。
 頭の中で一つのことばかりが反復していたからだ。

 これは仕事なのか。

 もちろん、そこに座っている誰も怠けてはいない。むしろ真面目すぎるほど真面目に、日々の断絶を埋めている。
 だが、その真面目さが会社を救ってきた一方で、利益を食い、役割を膨らませ、仕事を見えにくくしてきたのも事実だった。

「ここまでで、だいたい見えました」
 雨宮が資料を閉じた。
「管理本部の主要工数のうち、少なく見積もっても三割以上は、システム間受け渡し、二重入力、例外処理、問い合わせ一次対応、報告資料作成に寄っています」
「少なく見積もって、です」
 杉崎が確認する。
「はい。厳密にやればもっと増えると思います」

 そこで佐藤が、ホワイトボードの左側に並んだ業務を書き出した。
 請求作成、契約確認、支払照合、問い合わせ一次対応、社内ルール検索、会議資料ドラフト、月次データ集計、営業分析補助。
 その右に矢印を書き、さらに言葉を重ねる。

 API連携
 AI検索
 AI要約
 AIドラフト
 ダッシュボード
 異常アラート

「ここから先の話をしよう」
 佐藤はホワイトボードの前に立ったまま言った。
「この仕事を全部、人がやり続ける前提で考えるのをやめる」

 その瞬間、椅子のきしむ音がいくつかした。
 長峰がようやく口を開く。
「龍一さん、それは少し刺激が強すぎるのではないですか」
「強い?」
 佐藤は振り向いた。
「現実の方が強いですよ」
「現実をどう言語化するかは、組織にとって重要です」
 長峰は穏やかだった。
「ここには長年会社を支えてきた人たちがいます。自分の仕事が“接着剤”だと言われて気持ちのいい人はいません」

「気持ちよくするために呼んだんじゃない」
 佐藤はあっさり言った。
「会社を救うために呼ばれた」

 会議室が静まり返る。
 杉崎はそのやりとりを見ながら、長峰の論点の立て方に改めて気づいていた。この男は、決して合理性そのものを否定しない。だが、常に“言い方”と“順番”を盾にして、議論の核心を遅らせる。
 たしかに彼の言うことにも理はある。人の感情を無視した変革は必ず失敗する。
 だが、その理を使って核心を避け続ければ、会社は何も変わらない。

 相沢由紀がそこで静かに手を挙げた。
 人事部長の表情は硬かったが、声は落ち着いていた。

「私からも言わせてください」
 杉崎たちの方を見る。
「私は、AI活用や標準化そのものに反対しているわけではありません。むしろこのままでは、会社が持たないことも理解しています」
 そこで言葉を切る。
「ただ、“半分で足りる”という話だけは、軽く扱わないでほしいんです」

 部屋の温度が変わった。
 その言葉は、まだ誰も明示していなかった現実を、初めて輪郭ある形で部屋の中央に置いた。

 半分で足りる。

 杉崎はそれを聞いて、胸の奥が一瞬だけ冷えた。
 自分も心のどこかで同じことを考えていた。
 APIでつなげる。
 AIで検索させる。
 請求、問い合わせ、資料作成、分析補助の中間作業を減らす。
 そうすれば、この会社のホワイトカラー業務のかなりの部分は、実際に圧縮できる。
 だが、それを言葉にした瞬間、話は業務改革ではなく、人の問題になる。

「由紀さんの言う通りです」
 真田が初めて口を開いた。
 新社長は資料ではなく、人の顔を見て話していた。
「会社を救うための改革が、人の役割や居場所を揺らすのは事実だ。そこから逃げるつもりはない」
 少し間を置く。
「ただ、逃げた結果として会社そのものが危なくなるなら、それはもっと大きな問題だ」

 長峰は黙っていた。
 相沢も反論はしなかった。
 だが、彼女の視線は杉崎から外れなかった。
 おそらく彼女は見ている。
 杉崎がこの現実にどこまで向き合う覚悟があるのかを。

 会議の後半、雨宮が試算を示した。
 保守的に見積もっても、

  • 管理部門工数の二五%は十二か月以内に圧縮可能
  • 三年スパンでは四〇〜五〇%圧縮の可能性
  • 自然減、再配置、再教育で吸収できる部分はある
  • だが、何もしなければ“余剰”は必ず可視化される

 この数字が画面に出たとき、部屋の何人かは資料を見るふりをしながら表情を隠した。
 誰も声を荒げない。
 だが、沈黙の質が変わった。
 ここから先は、改善ではない。再編だ。
 全員がそれを理解したのだ。

 会議が終わると、杉崎は廊下の突き当たりにある休憩スペースで雨宮と並んで立った。自販機のコーヒーは薄かったが、今は味がどうでもよかった。

「数字、出しちゃいましたね」
 杉崎が言うと、雨宮は頷いた。
「出さない方が危ないと思いました」
「そうですね」
「ただ……」
 雨宮が少し迷ってから続ける。
「数字が出た瞬間に、急に“人の顔”になりますね」
「ええ」
 杉崎は苦笑した。
「工数二五%削減っていうのは、さっきまでフロー図に見えていたものが、急に誰かの席に見えてくる」

 雨宮は何も言わなかった。
 その代わり、手にした紙コップを少し強く握った。

 その夜、杉崎は一人で社長室に残った。
 照明を半分落とした部屋で、会議の録音メモと業務一覧を見返す。
 画面の上では、雨宮が試作した分析表が開いていた。
 請求工数、問い合わせ件数、部門別の受け渡し回数、資料作成時間。
 それらはこれまで、「忙しさ」としてしか存在していなかった。
 だが今は、減らせるものとして見え始めている。

 杉崎は椅子の背にもたれ、目を閉じた。
 合理性は分かる。
 むしろ分かりすぎる。
 この会社は、人が真面目につなぎ役をやりすぎている。
 そのつなぎをAPIとAIで剥がせば、会社は確実に軽くなる。利益も残る。判断も速くなる。営業も、採算と条件をデータで見ながら動けるようになる。
 それは正しい。

 だが、正しいことが、そのまま正しく見えるとは限らない。

 スマートフォンが震えた。
 相沢からのメッセージだった。短い。

 明日、少し話せますか。数字の話ではなく、人の話をしたいです。

 杉崎はしばらく画面を見つめ、それから短く返信した。

 お願いします。

 送信してから、机の上の資料に目を戻す。
 そこにはもう、単なる業務一覧ではなく、会社の骨格が映っているように見えた。
 人がやるべき仕事。
 人がやらなくていい仕事。
 残すべき役割。
 消えていく役割。
 その境界線が、じわじわと輪郭を持ち始めていた。

 窓の外では、羽田へ降りる機体の灯りが低く流れていく。
 この会社の仕事も、かつては全部、人が手でつないでいたのだろう。
 だがこれからは、そうではない会社にしなければならない。
 それは効率化の話であると同時に、会社の中の人間の価値の定義を変える話でもあった。

 杉崎はノートを開き、短く書いた。

 人を減らすのではない。
 つなぎを減らす。
 その結果として、人の仕事が変わる。

 書いたあとで、それを見つめた。
 それは自分への言い訳なのか、それとも信念なのか、まだよく分からなかった。
 ただひとつ分かっていたのは、ここから先、この会社の改革はもう“便利になる話”では済まないということだった。

第7章 社内戦争 へ

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